がま池とかえる御守・上の字様
かえるの御守りとがま池

江戸時代 文政4年(1821)7月2日、麻布古川あたりより始まった大火で、このあたりが殆ど焼けてしまった時、なぜか備中成羽(今の岡山県西部)の領主、山崎主税助(やまさきちからのすけ)の屋敷のみが類焼を免れました。これは邸内の池の大かえるが、水を吹きかけて猛火を退けたからであると言われ、山崎家に御札を求める人々があとを断ちませんでした。 そこで山崎家では文政4年の9月より、「上」(じょう)という一字が書かれた御札を万人に授けるようになりました。この御札は「上の字様」と称され、防火・火傷のお守りとして信仰を集めました。

その後「上の字様」は末広神社(当社の前の社名)を通して授与されるようになりましたが、戦後中断してしまいました。しかし、「上の字様」の復活を願う声は多く、昭和50年8月より「かえるのお守り」として復活し、かえるの石像も奉納されました。近年では、防火・火傷のお守りとしてだけではなく、「かえる」の語音から旅行や入院の際に無事かえる、元気でかえる、あるいは、遺失物がかえる、若がえる等のお守りとして貴ばれております。

その後、「上の字様」も神社に伝わる史料を基に、ほぼそのままの姿で復刻し、防火・火傷除けに諸災難除けの御利益も加わった「上の字御守」として平成20年元旦より授与しております。現存するがま池の水を使用して奉製した唯一の御守です。

かつて広さが約五百坪(1650平方メートル)あった池はがま池と称され、四面が深い樹林に囲まれ、いかなる日照りにも涸れたことがなかったと言われています。がま池の現住所は港区元麻布で、現在では大部分が埋め立てられ、わずかにその一部を残すのみになってしまいました(マンションの敷地内の為、一般には公開されておりません。住民のご迷惑にもなりますので見学はご遠慮下さい)。


かえるお守






↑昔の上の字様
※神社に伝わる史料の一部